学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)
著者:福澤 諭吉
筑摩書房(2009-02-09)
販売元:Amazon.co.jp
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今、これを書いている時点で、3月11日の東日本大震災から三週間が経っている。地震、津波そのものの被害も計り知れなく、さらに発生した福島第一原発の放射能漏れ事故についても、事態収拾のために現場では壮絶な環境での作業が続けられている。被害を受けられた方々を思うと、正直適切な言葉が思いつかず、ただただ祈ることしかできない。少しでも復興に貢献出来る方法を模索したい。

この未曽有の震災の中、海外であれば混乱に乗じた犯罪などが多発するような場面であっても特に大きな問題は起きなかったことから、その紳士的に行動する国民性にも注目が集まっていた。

しかし原発の放射能漏れの状態が明らかになるにつれ、随分とその印象が変わってきたように思う。もちろん被災地の方々の行動には頭の下がる思いであることに変わりはない。直接の被災者ではない我々の行動についてだ。

放射性物質の拡散や人体への影響の恐怖、また輪番停電実施の混乱もあってか、東京都内や日本各地でデマ情報の氾濫や買い占めによる物資の不足など、ちょっとしたパニック状態になった。東京電力や政府を弾劾する声も多く聞かれる。原発推進派と反対派という単純な二元論での言い争いや、安全厨や危険厨などというレッテル張りまで。三週間が経つ今でも社会は漠然とした不安に包まれていて、まだ当面はその不安は払拭できないようにも感じられる。

特に放射性物質という馴染みの薄いモノへの恐怖、難解な論理と複雑な仕組みの原発への不安は大きい。決して事態を過小評価してはならないが、過剰反応もまた問題だ。自身の理解を大きく超えて容赦なく進んでいく現実に対して、正しく恐れ、正しく行動する為には一体どうすれば良いのだろうか。この玉石混淆とした情報の中から何を信じ何を疑うべきか、見極めるためには何をすれば良いのだろうか。

漠然とした回答ではあるが、おそらくそれは「学ぶこと」だと思う。

信じる、疑うということについては、取捨選択のための判断力が必要なのだ。学問というのは、この判断力を確立するためにあるのではないだろうか。(p.193)

たとえば原発に限ったとしても、原子力やエネルギーへの理解がどれだけ薄っぺらいものだっただろう。無自覚に電力を消費してきてしまったのだ。今までなぜもっと学んでこなかったのか深く反省し、後悔した。政府や電力会社の責任だけではない。我々のほとんどに対して、無関心であることの責任、知ろうとしてこなかった責任を問われている気がしてならない。

これは単なる個人的な感情論であるし、日本国民のひとりひとりが原子力発電の仕組みやその科学的根拠を十分に理解し説明できる能力が必要だとは思わない。

ただ、これからの日本の復興や変化に対してどのような態度を取るべきかと問われたら、それはやはり学び続けることだと思うのだ。

少なくともエネルギーについての認識、電力の作り方と使い方には変革が求められているだろう。将来、3.11はどのように思い出されるのだろうか。痛ましく悲惨な大災害だったけれど、それでもあの時から社会は良い方向に変わったのだと言われたい。

この本の原著は明治初期という時代の変革期のものだ。明治初期と現代を単純に比べて、似たようなものだと安っぽいことを言うつもりはないが、今がエネルギーの消費で支えられてきた一時代のターニングポイントだという認識は必要だろう。当然、日本はこのまま終わってしまう国ではない。必ず復興する日は来る。諸外国の予想を大きく超え、世界の新時代の先駆けとなるべく、今何をすべきかを考え続けていきたい。